『彼氏彼女の事情』有馬怜司はジャズの"逸脱と回復"精神そのもの
世界的なジャズ・トランペッターの日野皓正さんが、男子中学生に暴力を振るったらしい。
事件は瞬く間に話題になり、ネット・TVともに大きく取り上げている。
そんななか、以下の記事をTwitterで見かけた。
ジャズは"逸脱"から"回復"までを内包するからジャズ。記事を読んで気づいた。これは『彼氏彼女の事情』の重要人物、有馬怜司にも当てはまるのではないかと―!!
あ、紹介が遅れましたが、この記事は『カレカノ』こと『彼氏彼女の事情』の原作ファンだけに向けた記事です。有馬怜司、良いキャラなんだけどアニメ版にゃ出てこないんだな~
世界的ジャズピアニスト・有馬怜司
『彼氏彼女の事情』を読んだことがない人にも説明しておくと、有馬怜司は主人公のひとり、有馬総一郎の実父にあたる天才的なジャズピアニスト。
有馬家は病院を経営するいわゆる名家。怜司は父・怜一郎(ルックスも知性もピカイチ)の愛人の子だった。端正な顔立ちや頭脳など、怜一郎からの才能を受け継いだ怜司はしかし、愛人の子という立場ゆえに一族から冷遇される。唯一、怜一郎の長男である総司とは仲が良かったが、行き違いから関係は破たんし、怜司は非行の道に走ることに。
非行まっただなかの生活で、怜司はバリバリレディースな女性・涼子と関係を持ち、望まれない子どもができる。それが主人公の総一郎。
涼子は総一郎への愛情など持っておらず、「有馬家の子どもがいれば金に困らない」と打算的だった。
▼有馬怜司(コミックス17巻の書影より)
とはいえ怜司は愛人の子であるから、遺産などは入らない。ついに涼子は総一郎の育児を完全放棄。怜司がかけつけたため総一郎は一命を取り留めたが、幼き総一郎は怜司の兄・総司に引き取られることになった。
さらに付け加えると、"総一郎"の名前は怜司がつけたもの。父である怜一郎へのコンプレックス、そして兄・総司への愛情から由来する。
で、主人公の有馬総一郎くんは、高校生になって父・怜司と再会する。初めてまともに見る父は、チケットも取れないほど世界的に有名なジャズピアニストになっていた。
成長した怜司は"オトナのオトコ"そのものだった。胸の内にはまだ過去へのコンプレックスが渦を巻いてはいる。しかしヒロイン・宮沢雪野の助力もあり、総一郎とともに過去のわだかまりを、そして有馬家との古くからの因縁を解消するのだった――
長い。
申し訳ないが長くなってしまった。『カレカノ』がそれだけ内容の濃い物語なだけで、決して僕のまとめる能力が低いわけでは……うん……
有馬家から"逸脱"する怜司、ジャズの精神
ここで僕は「ジャズ界に暗黙の了解としてある"逸脱"の精神が、名家・有馬家から逸脱する怜司のアウトローっぷりに重なるのではないか」と主張したい。
原作者の津田雅美さんがどこまで狙って設定したのか。定かではないが、偶然で終わらせるにはもったいない一致とは言えないだろうか。
というのも『カレカノ』はキャラクターの心情描写が極めて細やかに練られた作品。心にダメージを負った登場人物が、傷を抱えつつも立ち直ったり、壁を乗り越えたりするさまは、本作の大きな魅力です。その意味では、有馬怜司の"回復"も作中の重要なピースなのです。
先述のとおり、有馬家は良い家柄ながら、大きな闇を抱えている。有馬の闇はそりゃもう深くエグいわけですが、だからこそ闇から立ち直る過程はクリティカルに響くんです。
この"立ち直り"こそ、ジャズ精神にある逸脱からの"回復"に通じるのでは、と僕は考えます。
回復があるからこそジャズ=有馬怜司では
上に引用した記事では「ジャズシンガーで譜面通りに歌う人はいない」とされており、コードにない音をわざと使うテクニックもあるといいます。恐らくそれがジャズの面白い理由であり、ジャズ精神の根っこなのでしょう。そこで
譜面=有馬家のレールの敷かれた人生、
逸脱=医者の家系から外れて非行、闇を抱えたピアニストになった怜司、
回復=怜司が有馬家の闇を乗り越え、過去から立ち直る。
と読み解けないでしょうか。
ところで、世間一般的に「レールからの逸脱を描く音楽」といえばなんでしょう。僕は、ジャズよりもパンクロックが思い浮かびます。
『カレカノ』世界におけるパンクロックはもちろん、バンドの"イン・ヤン"、そしてイン・ヤンのボーカルである一馬が挙げられるでしょう。ところがどっこい、一馬は逸脱のイメージとは噛み合わない純朴青年。それはインヤンのメンバー内で自分だけ学生なので、バンド活動の足を引っ張らないために「学校を辞める」と言い出してメンバーから止められて泣くエピソードが物語っています。
作中では怜司と一馬は初対面から共鳴しあい、相性バッチリな組み合わせとして描かれました。
ジャズへ"逸脱"する怜司、パンクロックに傾倒しながらも逸脱しきれない一馬。数奇な関係性を持つふたりこそ、ある意味対照的な存在ゆえに馬が合ったのかもしれません。