キタキツネの赤ちゃん

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『映画大好きポンポさん』評――クリエイター必見の"ものづくり漫画"

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人間プラモさんが制作したWebコミック『映画大好きポンポさん』が注目を集めている。
イラスト投稿コミュニケーションサービス「pixiv」上で無料公開された本作は、Twitterで拡散され作者名がトレンド入り。「クリエイターは必見」と絶賛を浴びた。僕も読んだ。これはもう書評というか感想を書かずにはいられない。

とにかく面白い。ぜひ読んでみてほしい。

テーマだけを抽出した濃密すぎるストーリー

「ワーオ」「ブシャー」「ペタペタ」。コミカルな擬音で幕を開けた本作は、"ものづくりの楽しさ"に焦点を絞った作品だ。そこには映画ビジネスや恋愛要素は混ざらない。導入部は軽やかでありながら作者の映画愛やポリシーが浮かび上がるのは、テーマを限りなく絞ったことで作品のエッセンスが濃密になるからだ。
トロフィーを手にしてもオドオドするジーンの姿は「成長物語」の香りすら排除。「超楽しい」の言葉が表すように、本作は何かを創る過程の充実感を、練り上げられた展開で描ききる。読み終わった読者には「ビリビリとした頭のしびれ」が残るのだ。

作中では作者のメッセージと思しき"名言"がいくつも語られる。なかでもポンポさんの言葉「製作者はシーンとセリフをしっかり取捨選択して出来る限り簡潔に作品を通して伝えたいメッセージを表現すべきよ」は特に重みがある。それは136ページというボリュームの本作をまさしく言い表していないだろうか。

無料Webコミックとして、136ページの本作はハッキリ言うと長い。ただし読み切りの単行本に比べるとページ数は少なく、一度読み始めればノンストップで最終ページまでめくってしまう。作品にならって映画に例えれば、ちょうど90分ぶんくらいだろうか。
伏線の配置と回収、映画ファンのためにバラまかれたような古い映画へのオマージュはリスペクト精神にあふれてもいる(イザベル・アジャーニにLINEのIDを尋ねるマーロン・ブランド!というIfストーリーだけでニヤけてしまう)。

『ニュー・シネマパラダイス』と『MEISTER

名画の引用が映える『映画大好きポンポさん』において、特に大きな意味を持つのが『ニュー・シネマパラダイス』だ。ガンコおやじアルフレードと少年トトの交流は、劇中劇『MEISTER』のダルベールとリリーの姿に重なる。
『ニュー・シネマパラダイス』が『MEISTER』に受け継がれる描写も巧みだ。名作の「匂い」を嗅ぎに来たポンポさんが試写室を訪れ、オーディションでピントが合ったナタリーの"匂いを嗅いで"新作への起用を決める。
師から弟子へ託される何か。ペーターゼンからポンポさん、ポンポさんやコンラッド監督からジーンへ、またはマーティン・ブラドッグからナタリーへ。そんな"意思の継承"は、アルフレードとトトの関係をにおわせる。

最後の最後、『映画大好きポンポさん』が傑作といわれる大きな理由のひとつであるラストページ。あの最後の一言こそ"ポンポさんからジーンへの継承"の収束である。
しかしあのオチは美しすぎやしないか。あんなこと上手いことやられたら、もううなるしかない。

ポンポさんはドラえもんか  キャラクターの奥行きについて

映画人として必要なあらゆる才能。歩く際の「ポキュポキュ」音。事実上の主人公・ジーンに送るアドバイス。ポンポさんの作中でのポジションはドラえもんを思い起こさせる。86ページ「まったくジーン君…きみって奴は…」が「まったくのび太君…きみってやつは…」をフォローしているのは明らかだ。
しかしジーン・フィニはのび太ポジションに収まらず、その一歩先を行く。

「心の中に蠢く社会と切り離された精神世界の広さと深さこそが その人のクリエイターとしての潜在能力の大きさだと私は確信しているの」

ジーンは友達がいないぶん自分の内面世界をこねくり回しており、それこそが創作活動の礎になる。繰り返し描かれる「ジーンのメモ」という努力描写(彼自身が楽しんでいるようなので、努力というか習慣?)はトントン拍子の展開にも説得力を付加。また"ダイヤの原石"はポンポさん自身にも当てはまり、幼い頃からペーターゼンにしごかれたことで才能が開花したことがわかる。ただの天才物語じゃなく、キャラクターに血が通っているのがありありと見えるんだ。

あとさ、蛇足かもしれないけど、詳細につむがれる「五感へのダイレクトな訴え」も良いんだ。まず『MEISTER』からは指揮者の復活劇やリリーの歌=聴覚、ジーンがファインダー越しに見る世界=視覚、名作の匂い=嗅覚、"芝居"そのものが本質的に持つ役者同士のふれあい=触覚。そしてポンポさんが好きなツナサンド、ベーコンチーズマフィン、ナタリーが作る夕飯、ポンポ組のスタッフみんなで食べる食事=味覚。人が持つ感覚へ直感的に伝わるこれらの要素も、読者の本能的な部分へメッセージを届ける要素ではないでしょうか。結果的に五感への訴えは圧倒的説得力を生み出していると思います。もっと言えば人間プラモさんの過去作も「ごはん」にこだわりを持っているものが多い!

ぜひ書籍化をお願いします

本作で語られる名言は、ものづくりに関わる者にグサグサと突き刺さる。そして容赦なく「創作意欲というガソリン」を注ぎ込む。

「評判欲しさに世間受けを狙ったら、八方美人なぼんやりぼやけた映画になっちゃうでしょ」
「だからそれよりも誰か一人、その映画を一番見てもらいたい誰かのために作ればいいんだ」
「そうしたらフォーカスが絞られて、作品の輪郭がグッと立つ」

一連のコンラッド監督の言葉こそ本作の主題ではないか。「映画」を他の創作物に置き換えても意味が成り立つあたり、コンラッド監督(そして作者)のものづくりへの信念が垣間見える。

改めて言うが、伏線の散りばめ方からオチの回収まで本作は「読ませる力」にみなぎっている。こんな漫画を無料で公開?太っ腹すぎない?
書籍化の企画も持ち上がっているのではと邪推する。本作が書店に並ぶ日を待つばかりである。

ぜひ紙で、カラーになったあのページを読んでみたい。

 

追記:

『映画大好きポンポさん』の書籍が発売されました!買いました!

高橋一生&長澤まさみ!『嘘を愛する女』

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長澤まさみの恋人。病気で倒れちゃったことをきっかけに、名前や職業もぜんぶ嘘だったことがわかる。そんな役どころを一番演じてほしい俳優さんは誰?

もし僕がそう聞かれたら、間違いなく「高橋一生!」と答える。『嘘を愛する女』のキャストが発表されてから言っているので後出しジャンケンみたいに聞こえるだろうが、本当だ。キャスト発表前でも高橋一生と答える。でも高良健吾小泉孝太郎も良いかもしれない。

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『ワンダーウーマン』宣伝ツイートの問題点

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新作映画『ワンダーウーマン』の宣伝ツイートが炎上している。いったい『ワンダーウーマン』のアカウントは何を言ってしまったのか、どういった部分が問題点だったのか。

当記事では公式Twitterの発言を分析。炎上の理由を洗い出したい。

作品のバックグラウンドを無視したCM

さてこのツイート、大きな失敗点は"作品のバックグラウンドを無視した内容"と"ジェンダー問題に対する多様性の否定"にあるように思う。

まず「オトコも恋も知らない」とあるが、リプライでも指摘されているようにこれは事実と違う。ワンダーウーマン(ダイアナ)の故郷は女性同士が恋愛するのが普通(男性が存在しない)であるのに、上記ツイートは"男性と女性が恋愛するのがノーマル"という先入観を振りかざしている形だ。作品へのリスペクトが足りていないように思える。「オトコを知らない」は先入観でもって「恋愛をしたことがない」をイメージさせ、「恋を知らない」にいたっては完全な間違い。

作者のRucka氏いわく、ワンダーウーマンが故郷を発つまでは恋人(女性)がいたという。彼女は公式でバイセクシャルなのだ。「オトコも恋も知らない」の一文は作品へのリスペクトに欠けるし、「女性は男性と恋するのが普通」というステレオタイプの押しつけにほかならない。

 

次に「世間を知らない」という部分。CMでは強調されないが、『ワンダーウーマン』は、ダイアナが登場した『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』より時系列的に100年前の話だ。これについてダイアナを演じるガル・ガドットは

「彼女がまだ世間知らずな100年前に遡る。若い理想主義者で純真。みんなが見てきたような経験豊富で思慮深い成熟した女性戦士とは異なる」

といっている(wikiに出典がないので根拠としては弱いが)。確かに「純真」「経験が豊富じゃない」の面を見れば、ツイートにあった「世間知らず」はある意味で正しい。だが、圧倒的に言葉が足りていない。おまけにその後に続くのは「オトコも恋も知らない」「天然系女子」という文言。アメコミファンの腹の底にモヤモヤとした物を残らせるに十分だ。そもそも140字という制限があるなかで要素を詰め込もうとする時点で無理がある。言葉足らずになるぐらいなら、いっそのこと丸ごとそぎ落とすくらいの英断は必要だと思う。

「はずが」ってなに?

細かい指摘になるが、「スーパーヒーローのはずが」という表現にも引っかかる。「はず」の2文字は呪いである。スーパーヒーローならこうあるべきだよね、という断定的な考えが、広報担当者の意識の底に透けて見える。明らかに性の多様性にケンカを売る発言であり、時代の流れに逆行した考えではないだろうか。

例えば地上波放送されたばかりの『アナと雪の女王』では、"愛って男&女の組み合わせじゃなくても生まれるよね"を描いた。4月に公開される『美女と野獣』では、ディズニー史上初めてゲイのキャラクターが登場するという。愛や性の多様性への肯定が時代とともに存在感を増す。

邦画に目を向けても同じことが言える。『怒り』では妻夫木聡が演じたゲイの男性が、昼はエリートサラリーマンとして働き、夜は楽しげにゲイパーティで遊ぶ。そこに「ゲイであること」の後ろめたさはない。国内でも映画における同性愛はここまで市民権を得てきたのだ。

ところがどうだ。『ワンダーウーマン』の公式Twitterは、「はず」の2文字で先入観という薪を用意。「世間知らずでオトコも恋も知らない」で完全に着火、炎上したのである。本当に疑問だけが残る。いったいなぜ、どうしてそんなツイートを投稿したんだ公式さん。

消化不良でしかない「セーラームーン」の登場

予告映像では声優の三石琴乃がナレーションを務める。それ自体は何も問題なく、声優ファンをニヤリとさせる演出だ。

だが、なぜ公式Twitterが「ナレーターは『セーラームーン』の三石琴乃」を強調したのか。その意図が不透明なままである。『セーラームーン』のファン層もアメコミ映画に取り込もうとした?声優ファンに興味を向かせたい?仮定はできるが、どうもストンと来ない。考えられるのは「戦う女性→月野うさぎ」という、とってつけたような連想だ。それにしたってセーラームーンである必然性がわからない。結果として三石琴乃の起用は完全な逆効果に。『セーラームーン』ファンから反感を買うにとどまらず、「オトコも恋も知らない」というデリカシーに欠けた発言と相乗し、火に油をそそぐ形となった。

蛇足だが、声優ファンは、テレビから流れる声を聴いて「あれ?この声、〇〇じゃないか?」と声優名を言い当てることに快感を覚える。あらかじめ「三石琴乃だよ」と教えるのはおせっかいである。

じゃあどうすれば炎上しなかったのか

ここからは僕の意見になる。今回の炎上を踏まえた上で、どうすればツイートが炎上せずに済んだのか考えたい。

まず予告動画だが、「初めて異性に触れたメチャつよ女性」という切り口はアリだと思う。広報担当が多くの客を呼び込みたい意図はわかるし、ある程度のキャッチーさは必要だろう。あえていえば「美女戦士は天然系?」は余計だ。その直前の剣を持ったシーンで、天然っぽさの説明は済んでいるからである。

そして問題のツイート本文は、こう直したい。

スーパーマンとも互角のパワー!? 『ワンダーウーマン』日本版特報が解禁!この最強美女、男性に会うのは初めてなんです……?

元ツイートでは『ハーレイ・クイン』の何と比較して"越え"たのか不明瞭なので削除。炎上要素も削除。三石琴乃のナレーションに関する文言は、気づく人が気づいてくれればいいので削除。代わりにスーパーマンを引き合いに出すことで強さを表し、最後の一文で物語の背景を何となく匂わせるにとどめた。大きな問題点「作品へのリスペクト」はこぼさず、「ジェンダーの多様性」についてはあえて触れない。恋や愛の要素は、浅いラインで言及すると急激に陳腐になるからだ。これなら炎上しなさそう、な気がする。

やいのやいの言ったけど

色々と好き勝手書いたけど、当エントリはあくまで「もうちょっとうまい宣伝文句もあったのでは」が主旨です。映画そのものの内容をとやかく言うつもりはありません。公開(8月25日)されたら観に行って、どういう広報方法なら良かったのかな、とまた考えてみようと思います。

高橋一生CM「dtv ふたりをつなぐ物語」篇

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『カルテット』ファンとしては触れるしかない。NTT DOCOMOが送るdtvのCM「ふたりをつなぐ物語」篇だ。

高橋一生演じる旦那さんと、長澤まさみ演じる宇宙飛行士。宇宙で働く長澤と、地上で暮らす高橋の心のつながりを描いたCMである。

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橋本環奈は声がハスキーだからすばらしい

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(画像はオフィシャルブログより引用)

橋本環奈の声が可愛い。天然記念物に指定したいくらいの美少女っぷりに似合わないハスキーボイスもまた、彼女の特徴のひとつだ。カラオケでオールでもしたの?っていうかすれ具合。

今日はそんな橋本環奈のかすれ声がいかに素晴らしいか、そしていかに暴力的か説明したい。

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